「土偶と埴輪の違い」って何?

埴輪ブームと云われ、子供たちの間でも高い人気となっており、昨年10月~12月東京国立博物館で開催された埴輪展にも多くの見学者が訪れました。今年の旅行会では古代東国の中心地だった群馬の古墳群と出土された埴輪を見学する予定です。
昨年の旅行会で諏訪地方を訪れた際、国宝土偶「縄文のビーナス」、「仮面の女神」を見学しましたが、同じ土製の焼物ですが土偶と埴輪の違いは何でしょうか?
土偶(どぐう)と埴輪(はにわ)の大きな違いは,「つくられた時代」と「つくられた目的」です。

1)土偶
土偶が作られたのは約12,000年前~2,400年前の縄文時代で、土製の人形で女の形をしているものが多く、魔除け、豊作、子孫繁栄などを祈って作られたとされています。厳密には「土偶」は「ヒト型」のものを指し、動物の形をした焼物も縄文時代にはありましたが、こちらは「土製品(どせいひん)」と呼ばれます。土偶の中でも乳房や腹部、臀部(でんぶ)が強調された女性像が多いのは安産祈願の目的で作られたと考えられ、土偶の一部が意図的に壊されたものが多くあるのは、身代わりにしたのではないか、と考えられています。 縄文時代の女性の死亡率は10代後半から20代がピークとなっており、出産を機に命を落とす女性が多かったことが推定され、出産がこの時代の女性にとって命がけだったのです。

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「縄文のビーナス」(尖石縄文考古館蔵)

2)埴輪
埴輪が作られたのは3世紀後半から6世紀後半の古墳時代で、素焼きの土器で、人、家、動物、刀などの形をしています。古墳に葬られる王や豪族が死後の世界で不自由しないように、という願いで副葬品として置かれたとされています(諸説あります)。
埴輪は「円筒埴輪」と「形象埴輪」の2種類に大別されますが、岡山、奈良、兵庫など初期の前方後円墳から出土された埴輪は円筒形埴輪であり、4世紀に入ると人、動物、家、楯、鶏などの形象埴輪が現れ、5世紀中ごろには今回の旅行会で訪問する群馬県高崎市の保渡田古墳群で出土した埴輪は馬、鶏、猪などの動物埴輪や、鵜飼が行われた可能性を示唆する鈴の付いた首紐がつけられた鵜や魚をくわえた鵜の姿を形象した埴輪など多彩なものとなり、当時の人々の生活を知る貴重な資料ともなっています。
6世紀中頃(古墳時代後期)には、畿内では次第に埴輪は生産されなくなっていきますが、群馬、埼玉を中心にした関東地方では多種多様な埴輪の生産が続き、埴輪展で展示された彩色された埴輪なども作られました。
仏教の伝来とともに前方後円墳が姿を消し、埴輪も作られなくなっていきます。

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「大型円筒埴輪」(群馬県より出土)

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「埴輪武装男子立像」(群馬県太田市より出土)

[参考文献]
Wikipedia「埴輪」・「土偶」、Rekisiru「歴史、それは最高のエンタメ」、ベネッセ教育情報、
ことくらべ「ことばを比べて知識を深めよう」、Japaaanマガジン:歴史・文化

(吉田 勝 記)